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zoom RSS 五島列島と長崎の教会群を訪ねてーその1 下五島のキリスト教会

<<   作成日時 : 2015/09/01 10:28   >>

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 長崎の教会群とキリスト教関連遺産は現在ユネスコの世界文化遺産に申請中である。14項目の遺産申請のうちには8か所のカトリック教会がふくまれている。元治2年(1865)3月に浦上の隠れキリシタンたちが大浦天主堂に名乗り出た。今年は教会側の「信徒発見」隠れキリシタン側の「神父発見」から150年目に当たる。およそ400年のキリシタン禁教、弾圧、潜伏の後、明治6年(1873)になってようやく信仰が取り戻された。その後の隠れキリシタンの子孫たちは新しい宣教者の指導の下、教会を建立し深い信仰を新たにしている。今回は巡礼を目的として五島列島を中心に長崎の人々の信仰の姿をみるため教会群を訪れた。

 長崎県にはかれこれ130のキリスト教会があり、このうち五島列島には50もの教会が存在する。 島内の教会群のうち3か所が世界文化遺産に申請中である。これを中心に散在する教会のいくつかを訪問した。



                                   
 
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五島列島は、中通島、若松島、奈留島、久賀島、福江島の5島からなり、前者の二島を上五島、後者三島を下五島と呼ぶ。

永禄9年(1566)ポルトガル人のルイス・デ・アルメイダ神父によって、五島列島にキリスト教が伝わった。 福江では領主の病気を治すなど、領主や人々の信用を得て、奥浦に最初の教会をたて、重臣や多くの人々に洗礼を授けた。  アルメイダ神父は平戸、生月、度島、大村、島原、五島、天草、長崎の各地で宣教活動を行った。




この旅は下五島の福江島からはじまった。

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下五島の教会―福江島・久賀島


8月21日: 長崎港から、高速ジェットフォイル船で福江島に着く。

1.堂崎天主堂

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 明治6年(1873)、キリシタン禁教が解かれた後、明治12年(1879)にフランス人のマルマン神父によって小聖堂が建てられた。
 明治41年(1908)に現在の煉瓦作りの聖堂が完成した。長崎の西坂で処刑された26聖人の一人である五島出身のヨハネ五島を祈念して、日本の26聖人殉教者に献堂されている教会である。ゴシック様式、内部は木造で、コウモリ天井など定法通りの建築に仕上げられている。



2.水ノ浦教会

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 キリシタン禁教が解かれ、五島の信徒たちは信仰の自由を取り戻した。五島の各地には次々と教会が建てられた。 水ノ浦教会は明治13年(1880)に建立された。
 しかし老朽化のため昭和13年(1938)に教会建築家の鉄川与助氏によって現在の姿になった。

 ロマネスク・ゴシック様式に和風を加えた木造教会で、その構造は長崎の大浦天主堂と同型といわれる。




3.井持浦教会

画像 井持浦教会は明治30年(1897)創建された五島で最初の煉瓦造りの教会である。 信徒が増えたため大正13年(1924)に内部を拡張した。 老朽化のため昭和62年(1987)に改装された。画像











敷地内のルルドのマリアは明治28年(1895)に日本で初めて造られたフランスのルルドの聖地を模したもので、敷き詰められた岩石は五島の各地から運ばれてきたものである。

 この教会でこの巡礼の旅の最初のミサが同行の神父によって執り行われた。 島内のキリスト教信者の深い信仰に思いを馳せ、殉教者、迫害を受けたキリシタンに祈りをささげ、 また、世界の平和を願った。


4.大瀬崎断崖

画像 大瀬崎の断崖絶壁は打ち寄せる波濤により削られて形成された。 およそ100メートルを超えるところもあり西海国立公園の特別地域に指定されている。 突端には明治12年(1879)に竣工した灯台があり、沖合50キロまで届く光は海上保安庁の「日本の灯台50選」に選ばれている。


 以前当地には帝国海軍の無線機望楼があり、日露戦争の折にはロシアバルチック艦隊発見の「敵艦見ゆ」の報を受信した。





                                    

 寛政9年(1797)に始まった長崎大村領民の隠れキリシタンたちの五島への移住は並大抵のものではなかった。 豊かな平地に住むことは許されず、荒地を切り開き貧困に耐えてその信仰を守り続けた。

 キリスト教解禁に伴い、島内では次々と教会が建立されたが多くは急峻な山や交通の不便な海岸であった。 これは、そこに住むキリスト教信徒たちが「信仰の証となる自分たちの教会」をその地に建てたかったからである。

 今回の旅でもバスがようやく走ることのできるギリギリの道路で、すれちがう軽自動車のためにしばしば停車せざるを得なかった。 また、バス一台がようやく駐車できるスペースしかなく、今後、観光客が増加した場合はどうするのか、島内のインフラストラクチャー対策を考える必要があろう。


                                    

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 8月22日 久賀島へ船で渡る。 奈留島の江上教会(世界遺産申請中)は日程の都合で訪問できなかったがまだまだ下五島の旅は続く。

5.牢屋の索殉教記念教会

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 慶応元年(1865) 長崎の浦上で隠れキリシタンが神父に名乗り出たのをきっかけとして、すさまじい迫害が始まり、多くの信者がいた五島列島でも厳しい弾圧が起こった。明治元年(1868年)この牢屋の窄といわれる場所ではたった6坪のスペースに200名が8か月も押し込まれ いたいけな子供たちを含め死者36名、出牢後も3名がなくなった。連日火責め、水攻めなど過酷な拷問がおこなわれたという。

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 それが岩倉具視などの外国使節団に知れ、 また外国からの抗議もあり明治新政府の外交問題に発展した。明治6年(1873)になって、ようやく大政官布告でキリシタン禁制の高札が下された。

 昭和59年(1984)に新聖堂も建立された。中央の白のじゅうたんは200人が押し込められた6坪畳の広さをあらわし立ったままが精いっぱいのスペース、子供たちは押し潰されて死んでいったという。



6.浜脇教会

画像 浜脇教会は久賀島の田ノ浦港の高台にあり、昭和6年(1931)に五島列島最初のコンクリート造りの堅牢な建物である。
 明治14年(1881)ここに最初に建立された木造の教会堂は移築され旧五輪教会となっている。
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7.旧五輪教会

 画像 旧五輪教会の建物は明治14年(1881)久賀島の浜脇の地に浜脇教会堂として建てられたものであり昭和6年(1931)に当地に移築された。 現存する木造教会堂としては最古の部に入るといわれている。

 外観は和風の造りであるが、内部は三廊式のコーモリ天井やゴシック風の定法通りの教会建築である。
昭和59年(1984)老朽化のため取り壊しの危機に見舞われたが、修復して保存が認められ、かわりに新しい教会が隣りに建てられた。 

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 現在はそこに住む信徒の二家族の方々が教会の掃除や庭の手入れを行っておりトイレも清潔に保たれている。 「ここを訪れる巡礼の信者や観光客の方々に迷惑をおかけしてはならない」という最大のおもてなしなのである。 これもその方々の教会に対する愛情とキリストへの深い信仰を物語っているといえよう。

 今回、この教会はユネスコの世界文化遺産に申請中である。 

 しかし、世界文化遺産に登録され人々が押し寄せるとなれば、この管理体制をどうするか・・・心配である。





                                    




 その2−上五島のキリスト教会につづく・・・ 


PS: 長崎の教会群とキリスト教関連遺産については平成28年の世界井遺産登録をめざしてその取組を進めて
   きたが、ユネスコ諮問機関の国際記念物遺跡会議で内容を見直すべきとの評価を示され、政府は2月9日    の閣議でやむをえず推薦を取り下げることとなった。 内容を見直した上、平成30年の登録にむけ、来年に
   再推薦を目指している。




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