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zoom RSS 大地震!スーパーの食料棚から電池・パン・米が消えたー東京にて

<<   作成日時 : 2011/03/21 11:31   >>

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3月11日 (金) 

 電話中に大地震が発生しました。 棚に置かれた電話機本体や脇の花瓶を押さえるのに精一杯。 揺れがおさまってから掛けなおしましたが、すでに繋がりませんでした。戸棚に置いたグラス類も落ちて床に散乱しています。

 TVで大災害のニュース、まずは水の確保です。風呂に水を張り、どこに仕舞ったか忘れたポリタンクを探し求め満水にしたのみならず、やかんにも入れました。停電したりガスが止まっても煮炊きに必要なガスボンベは3本ありましたので、まずは大丈夫です。 車のガソリンは約半分、これもなんとか凌げます。

 次に懐中電灯、電池がありません。近所のスーパーに買いに行った妻は手ぶらで帰ってきました。もうないのです。

 冷蔵庫や棚の保存食料を調べてみると妻と私の二人で3日分くらいはあります。 何か起らねば当面やりくりして暮らすことが出来る量です。皮肉な事ですが花粉の飛ぶ時期、ティッシュペーパーのストックは十分です。

            災害に備え特に大都会では少なくとも一週間分の食料は確保しておいてください。 

 この言葉に耳を傾けなかった自分を責めましたが、今更仕方ありません。 非常持ち出し袋に入っていた乾パンの缶は一年前に賞味期限が切れていました。 この大地震が身近で起っていたらどうなったでしょうか。

3月12日(土)
 
 翌日スーパーに買出しにゆくと、 もうパン、即席ラーメンの類は姿を消していました。 肉、野菜 卵はまだ棚に多少残っています。 といっても日持ちの悪いものばかり、どういうわけか多量にあった小麦粉は2袋も買いました。これですいとんやお好み焼きもできます。 なんでも良い、食料は十分に確保しておかねばなりません。勤め先から帰宅できない親戚の者が泊まりに来るかも知れないからです。 このほか、この日は行きつけの米屋さんからいつもの量を買うことができました。  これでなんとか10日くらいは食い延ばしで暮らせるだろう。 

3月13日(日)

 とはいうものの、不安で、この日もスーパーを覗いてみました。しかし、もう目ぼしいものはありません。

 首都圏の食料不足は長期にわたるかもしれない。この不安から我が家の食事は一汁一菜とキムチなどの副食品だけとしました。 茶碗のご飯をかみ締めながら、なんといままで贅沢な献立であったのか思い知らされた気持ちです。まあ、なんとか、やっていきます。

                                ・・・・・・・・・

 終戦直後の食糧不足、この時を思い出しました。 父が買出しに行き夕方帰ってくると母が待ちかねたように料理にかかります。 芋、大豆、わずかな野菜、それでも飢えをしのぐことができました。 闇市でたまに手に入る横流れの米軍の戦時食、(たしかレーションといっていましたが)中には、小さなコンビーフの缶詰やシチューの袋など入っていました。 たった一人前ですが、母はこれを使って家族5人の料理に膨らませていました。

                                ・・・・・・・・・

3月18日(金)

 一週間たっても今日もパンなどはお店に入ってきていません。 入荷しても開店してすぐに売切れてしまうのだそうです。 

 ものは不足しているわけではなく、十分余裕があるようです。 ただ、輸送できない状態が続いているとのこと、 都内のガソリンスタンドは長蛇の車の列。そのため被災地のほうに救援物資を運ぶトラックの燃料がない・・・。 こんな矛盾があってよいものでしょうか。


 当分、我が家での食事の献立はみみっちいものとなるでしょう。 でも、被災地の人々に較べれば、十分な量と暖かいものを食べられるのです。   

 節食、暖房などの節電、わずかな寄付ぐらいしかできませんが、東京にいても被災地の身になって考えたいと思います。

3月19日(土)

 大震災から8日たちました。報道では被災地にはようやく救援物資の輸送が届きはじめました。まだ十分とはいえない量ですが、 被災地の皆さん 頑張ってください!  また、地震・津波で亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申しあげます。

 原発の事故も心配ですが、東電、警察、、自衛隊、消防、その他の関係者の皆さんのおかげで、徐々に改善されています。 危険を顧みず現場で作業をする方々のご尽力には心から敬服します。 総理が東電を叱り飛ばしただけで何になるのでしょうか?

3月20日(日)

 スーパーに買出しに行きました。 もう、棚には食料品はぎっしり並んでいます。 メーカー、配送、また、お店の方々の努力があったのでしょう。  いつもの量を購入しました。


付記: 

 人間の心理としてある程度の買占めが起るのは仕方ないとは思いますが、やはり、災害に備えて各家庭は10日間ぐらいの食料備蓄を心がけなければならない事を実感しました。 さはさりながら治安の良い日本、 略奪、暴動などが起らなかったのはさすがだと思いました。


 難をいえば、無秩序な報道です。 各局とも震災の同じ番組みを繰り返すばかり、最新の情報がどれなのか判らなくなりました。 また、金融経済、海外ニュースもほとんどありません。こうした事態が起った時にはA局はこの地域、B局は別の地域、C局は経済のニュースと分けて報道できなかったのでしょうか。



                                                      東京にて     

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内 容 ニックネーム/日時
あまりモノに動じない(鈍感?)私もチョッと「今度はダメかも・・・」と思いました。常々主人が「この建物は大丈夫・・」と言っていて、確かに今まではかなり揺れても棚の物もビクともしなかったので安心していましたが、今回は、丁度居合わせた友人に「ここは大丈夫よ」と口では言いつつ、新潟地震でえ鉄筋の公団住宅か何かがボッキリと倒れた場面が頭をよぎりました。高台の4階で、眺望の良さに満足していましたが、大きな冷蔵庫や、本来押しても引いてもビクともしない食器戸棚がズリズリと移動して、アチコチでモノが落ちたり倒れたりしだして、「いよいよ、かな・・・」と、思いました。「母が一人なので・・・」と青くなっている友人が、少しおさまった頃をみはからって帰るのを送る時、玄関の靴入れの戸棚が開いて、息子の使わなくなったスキー靴やサッカーボールが土間に散乱しているのを見ても、さして驚きませんでした。それより、直後から電話が通じなくなって、娘や孫、妹達の安否が(皆東京近辺なのに)分からない不安で、血圧は上がる、胃がキリキリする、と言う半日でした。
TVでは見たこともない泥の波が車や建物を押し流したり、海に引き戻したり、遠く離れた土地の事とは言え、胸が痛みました。モノが無くなるのは、少しも怖くないのですが、それにしても、目に余る買占めの様子は腹が立ちました。
報道も確かに少しオカシイ・・・人心を煽っている感(昨今の水騒ぎ)があります。自分で判断出来ない人が結構多いんだから・・・そうお思いにならない?
アズ
2011/03/25 10:06
アズさん コメント多謝!  ストライキの際は丸の内にある会社から比較的近い私の自宅ですから、かならず出社させられていました。8kmですから歩いても1時間半、この時はガランとしたオフィスで電話当番をしていました。 同僚と飲み歩いて終電に遅れ、この時は6人も自宅に泊めた事もあります。 母がそういう時に布団を何組も用意していたからでした。平和な時代の帰宅難民を思い出しました。  今回の地震では親戚の勤め人は誰も止めてくれとは言いませんでした。 会社に泊まったそうです。 
こんにちは!ハングルース
2011/03/25 14:33

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