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zoom RSS 端午の節句がやってきた

<<   作成日時 : 2010/05/01 09:44   >>

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 風薫る五月、端午の節句がやってきました。私が生まれて以来、いくどとなく我が家に飾ってきた五月人形、毎年その時期になると今年はどの場所に飾ろうかと、楽しみな行事のひとつとなっています。寝る前に入る菖蒲湯も欠かせません。 「ゆるりと浸かっていても勝負(菖蒲)湯とはこはいかに」 こころは「和やかでも戦闘(銭湯)と言うがごとし」 毎年このころになると、この謎かけを思い出します。


 私の初節句の時は長男が誕生したという当時の世相を反映してか、両親は最高級の具足飾りを買ってくれたようです。また方々からお祝いとして桃太郎や金太郎などの人形が贈られてきました。 昔の我が家はかなり広い床の間がありましたから、武者絵の掛け軸とともにそれらを全部飾ることが可能でした。
 
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 私が結婚して長男が生まれ、五月人形を子供のすこやかな成長を願って飾りつけました。 しかし、この当時のわが家にはもうかつての広い床の間はなく、掛け軸はかけるところもなくこれらの飾りは数ある中から選ばなくてはなりません。次男が生まれ、彼のために新しく兜を買いました。 

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画像 海外勤務の時には日本に残す家財を仕分けするにあたり、このような人形の類は真っ先に処分されるか知人に貰われることとなり、主なものだけが残りました。 小さい時から私が気に入っていた鍾馗人形は赴任地のサウディアラビアに持って行くことにしました。 

 季節感に乏しい砂漠の国では、毎年5月になればカレンダー感覚で日本を思い出させてくれました。 隣の日本人家庭にも、ミニチュアの鎧が飾られていました。  日本人小学校にはこいのぼりが砂漠の風に泳いでいました。

 鍾馗サンの下に敷いたシリア刺繍のテーブルクロスはクウェイトのスーク(市場)で求めました。 柄がシルクロードー唐ー大和に渡来したような歴史的雰囲気となって気に入っています。

 帰国してからも毎年このコンビネーションです。




 横の矢は私が生まれた時のじいサマからのお祝い品で江戸時代のものです。 これらの五月人形が数百年たって、 「これは昭和の作品だ」 といわれるようにしっかり保存するよう言い伝えたいものです。もっとも、この頃は少子化で日本人は一人もいなくなっているかもしれませんが・・・。



 18年前に古びた我が家を新築することとなりました。 和室がなくなったため、どこにももって行き所のなくなったこれらの五月人形や飾りの類はさらに減ってゆきました。

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今は妻と二人暮し、今年もどう飾ろうか考えめぐらします。 もう、一ヶ所には置けません。 居間、廊下、ダイニング・ルームなどに分散され洋間にマッチした昔ながらのインテリアとして、眼を楽しませてくれています。


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お坊ちゃまご誕生の折の皆々様のお慶びが手に取るようにわかります。ご立派な椅子に大人しくお座りしていらっしゃる、70年前のお姿、中々です。負けずに・・と言う訳では無いけど、私メの初節句も今思うと、かなり絢爛豪華!なモノのようです。初孫でもなんでもないし、そろそろモノが無くなる・・・と言われ出した時期と言う事もあったようで、母に言わせれば形だけと言う事ですが、やはりその頃住んでいた新宿、柏木の家の二階の座敷に堂々と飾られました。八月生まれの生まれの三月なので、初節句はたしか母に抱かれて雛壇の前にいる写真がありますが、少し成長してから、毎年晴れ着を着て、お雛様のお道具で、祝膳を食べたり、白酒を飲んでいる写真等があります。間も無く、世情不安定になりそんな風雅な習慣も我が家から姿を消しました。戦後の少し落ち着いて、四人も娘のいる我が家は、取敢えずお雛様を飾りましたが、押入れの中で、哀れネズミにお顔を齧られてしまった、三人官女や、刀を折ってしまった右大臣、左大臣、バチが一本しか無くなって、文字通り手持ち無沙汰の五人囃子、と言った按配になり(多分人並み外れて、悪戯の私がいけなかったのだと思う)いつのまにか、そのお雛様達は処分の憂き目を見ました。が、お道具類は、戦中で、お雛様どころでは無かった妹達に貰われて、私の手元には、金屏風だけ残っています。これが、最近娘達や、孫たちのお雛様を買う時に分かったのですが、さすが、戦前の三越のモノだけあって、細工も、使われている金箔もかなり上等!今はそれだけを大事後生に、お正月飾りや、お節句に使っています。なんたって、後30年もすれば、100年前のモノ・・・
 
アズ
2010/05/09 10:49

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