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zoom RSS 忠臣蔵の足跡を辿って

<<   作成日時 : 2008/12/21 00:13   >>

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 芝の泉岳寺は浅野家の菩提寺、ここは浅野内匠頭と赤穂義士の「忠臣蔵」で有名です。毎年12月14日になると義士祭が行われます。義士祭は泉岳寺だけでなく、赤穂義士たちが討ち入った本所松坂町の吉良邸跡、 浅野家の地元播州赤穂でも行われています。 
 その義士祭の日の今年は雨でした。寒いですねえ。したがって今年は泉岳寺へ行くことは止め、家の中で今まで訪れた東京都内の忠臣蔵ゆかりの地をまとめて見ることにしました。

                                 泉岳寺

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 討ち入りの当日は雪といわれていますが、後世の芝居や映画で討ち入りの臨場感を盛り上げるためで、実際は降っていなかったようです。

 毎年、義士祭には毎年大勢の参拝客で賑わい、 門前や境内には屋台がならんで活気を帯びています。あちらこちらに立てられた義士祭の幟も北風にはためいて、「えいえい、おう!」と赤穂義士たちのときの声が聞こえてくるようです。一方、内匠頭と義士たちのお墓にも大勢の参拝客で参拝の列にならんで順番待ち、大分待たされます。



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 参詣する人々の線香のけむりは寺の外までたなびき、隣のマンションが見えません。 この日は近所の人たちは煙たくて一寸迷惑かも知れません。 でも、義士祭は永年行われてきた年一回のお祭りですから・・・・。

(地下鉄浅草線:泉岳寺下車)。



                   赤穂義士たちがお預けの身となった屋敷跡


 討ち入り後、赤穂義士たちは一旦、幕府大目付の千石邸に収容されましたが、4つの大名屋敷に分けられてお預けの身となりました。

細川越中守屋敷

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 泉岳寺を出て、右手にそって細い道を上がって行くと、二本榎通り(メリーロードたかなわ)に出ます。ここは高輪一丁目です。高松宮邸を過ぎ、歩いていくと都営アパートの正面に「大石良雄等自刃の地」の碑があります。その裏手の奥に塀にかこまれた義士ゆかりの地に突き当たります。

 この場所はかつて細川越中守の中屋敷があったところです。細川家には大石内蔵助良雄以下16名が預けられていました。

画像 門から中には入れませんが、門の隙間から中を垣間見る事ができます。 庭石の残骸のみ、一寸ガッカリです。

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 細川家跡の面影としては高輪区役所支所の脇の道沿いに大きな椎の古木がそびえ、当時の大名屋敷の威容を忍ばせています。

松平隠岐守屋敷

 現在イタリア大使館となっている三田2丁目の松平隠岐守の屋敷跡、慶応義塾大学の裏にあります。この邸には大石主税、堀部安兵衛など10人がお預けの身となりました。

(JR:田町駅下車)

水野監物屋敷

 芝5丁目の水野監物下屋敷には神崎与五郎など9名。

(地下鉄:三田線三田駅下車)

毛利甲斐守屋敷

六本木ヒルズの毛利公園になっている毛利甲斐守上屋敷跡には岡島八十右衛門ら10名。 

(地下鉄:日比谷線六本木駅 下車)

 これらの地には今は史実を伝える碑のみ建っています。


 元禄16年2月(1703年) 4大名家にこれら義士たちの切腹の命が伝えられ、全員が自刃しました。

 お預けの身になった赤穂義士は46名です。 47名のうちの一人、寺坂吉衛門は入っていません。 彼については諸説ありますが、大石良雄の密命を受け姿をくらましたとも伝えられています。 ちなみに討ち入りの1702年以後、45年経った1747年まで生き延びたとのことです。彼の墓は麻布の曹渓寺に在ります。 
 (地下鉄南北線:白金高輪駅下車)

                       これより前の話に遡ってみましょう。


      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



                         浅野内匠守終焉之地


画像 浅野内匠守が切腹した場所は、一関藩の田村家の中屋敷です。以前この一帯は田村町でした。  現在でも、「xxx田村町ビル」 など、昔の町名を残した建物が多く残されています。(現在は町名変更で、新橋、西新橋となりました)

 日比谷通りの新橋4丁目の交差点脇には「浅野内匠守終焉の地」という碑が立っています。 現在は環状第2号線の工事でその石碑は一時撤去され、東京都の第一建設事務所に保管されています。

 何回も交差点を行き来しましたが碑は見つからず、土地の人に聞いてようやく仮りの立て札がたっていることが判りました。

 浅野内匠守が切腹したあと、遺骸は赤穂藩士によって田村邸の裏門から泉岳寺に運ばれたと伝えられています。 


 (JR新橋駅:6分、地下鉄三田線御成門駅:8分)



                         本所吉良上野介屋敷跡


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 両国小学校の西側の本所松坂公園には、なまこ塀に囲まれた「吉良邸跡」があります。 元禄15年12月14日(1702年)赤穂義士47名が討ち入った場所として知られています。門の前に立つと討ち入りの山鹿流陣太鼓の音が聞こえてきそうです。 今は吉良邸跡は30坪しかありませんが、中には吉良の首洗いの井戸が残されています。

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 上野介を討ち取った義士たちは、ここから芝泉岳寺まで11キロを行進しました。

 吉良邸は元々江戸城呉服橋門内にありましたが、浅野内匠頭の刃傷事件の余波を受けて幕府に召し上げられてしまいました。幕府が討ち入りを警戒し本所の松坂町に移転させたといわれています。この屋敷もまた、義士の討ち入り後、幕府に没収されてしまいました。
 
(JR総武線で両国駅下車)


                         浅野内匠守屋敷跡


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 聖路加病院のわきに浅野邸がありました。今や碑だけが残されています。 この病院には過去何回も訪れましたが、ここが忠臣蔵と関係が深かった場所とは今まで気がつきませんでした。

 (地下鉄日比谷線築地駅下車)











      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 赤穂義士の討ち入りは当時の幕府に不満をいだく庶民に喝采を浴びたようです。しかし、武家の掟は喧嘩両成敗、幕府の裁定は片手落ちの感を免れません。

 
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 芝居や映画では悪役の吉良上野介ですが、領地の三河国幡豆郡吉良荘では治水事業などを興し、なかなかの名君でもあったようです。 しかし、江戸では饗応役いじめの行為は目にあまったようです。 この刃傷事件はなにが発端だったかわかりませんが、はじめにプッツンして切りつけた浅野内匠守が問題です。

    「風さそふ 花よりも猶我はまた 春の名残をいかにとかせん」

 浅野内匠頭の辞世の句です。 こんな優しげな句を読む彼がなぜ、刃傷沙汰を起したのか? 余程腹に据えかねたことがあったに違いありません。 彼が赤穂の塩の製法を上野介に教えなかったので嫌がらせを受けた、ともいわれておりますが、これは、企業秘密ですからねえ・・・・。

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 討ち入った義士たちの処遇も従来ならば引き回しの上獄門首でしょうが、武士らしく切腹させたのは、やはりお上に不満をいだく江戸庶民の感情を、幕府が考慮した結果であっただろうと思われます。 時の施政者が世間体を気にすることは今でも同じですね。 

 浪士か義士か? 浪士というと、そのニュアンスはテロリストに近いですね。私は何となく彼らに同情しますから、ここでは義士と書きました。 

 この事件は美談として現代まで伝わって来ています。ブッシュ大統領に靴を投げつけたイラクの記者と同じく、民衆にアッピールする行為でしょうね。



  しかし、もし、この討ち入り事件の可否を現代の司法国家が裁定するならば、最高裁判所はどんな判決を言い渡すでしょうか。 

 来年の裁判員制度の発足で、貴方がもしこの事件を担当するならば、貴方はどう判断を下しますか?



(本サイトの無断転載、使用はご遠慮下さい)





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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
こんにちは。義士祭、壮観ですね! 一度見てみたいです。吉良邸は、両国だったとは! 全然知らなかったです。 赤穂浪士たちは11キロ歩いたのですか?
今ならモチロン、JRと地下鉄で(笑) 昔の人はこれくらいは平気で、遠いなんで感じなかったんでしょうね。 目黒散策の4回目も楽しみにしています。 
☆サファイア
2009/02/13 17:36
 サファイアさん有難うございました。両国の江戸博物館、これも必見です。申し出ればボランティアの人たちが無料でガイドをしてくれます。べらんめえの熊さん八っあんじゃないからよくわかりますよ。
こんにちは!ハングルース
2009/02/13 22:41

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