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  作成日時 : 2005/09/04 17:44   >>

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ハングルースの意味をご存知ですか? 英語で to be relaxed, easy going、いわゆる、気楽に行こう、の意味です。これからは気楽に好きな事を書いて行こうと思います。エッセイ、音楽、旅行、食べ物などジャンルはさまざまです。 よろしく!
最初は8編をまとめてご紹介します。 

  1.返ってきた25ペンス(旅行)−’05 9月  
  2.プルメリアの花 (エッセイ)−’05 9月  
  3.ウクレレ (ハワイ)−’05 9月 
  4.風、波、太陽そしてヨット(エッセイ)−’05 9月 
  5.湾岸戦争とヨット(エッセイ)−’05 10月  
  6.海外のヨットレース遠征記(旅行)−’05 10月 
  7.文化遺産はどうなる?(エッセイ)−’05 10月
  8.スズメバチの巣(エッセイ)ー’05 11月 
  
そのー1 返ってきた25ペンス(旅行)
  
 ロンドン、ヒースロー空港に降り立った。海外旅行は慣れていると自負しているが、やはり、初めての空港は不安なものだ。家族連れのこともあり、ここは奮発してホテルまでタクシーを使うこととした。
 英国人らしくむっつりとした初老の運転手さんはホテルの玄関で料金を渡す際、ようやく口を開いて言った。
「ロンドンは明日からストライキです。交通機関はほとんどストップします。よかったら、私の車を使いませんか、いろいろな場所にご案内いたします」
 願ったりかなったりの申し出である。2日間にわたり、彼はロンドンの名所旧跡を案内してくれた。幼い子供たちも、ユーモアたっぷりな彼にすっかりなついてしまった。 このすばらしい出来事もあって、その後2週間にわたる英国各地の旅を、私たち家族は十分に満喫することができた。
  ロンドンにもどってからも、勿論のこと、買い物や帰りのヒースロー空港までの足はこの親切な運転手さんである。空港で別れる際には料金にそえて過分のチップを渡したのはいうまでもない。
 ポケットの中をさぐると数枚のコインがあった。これを持ち帰ったとしても、日本では使えない。そう思って、彼の分厚い手のひらに全部のせた。
「サンキュウ、サー。でも、一枚だけお返しします、必ず、お役に立つと思いますから」
 そういって彼は25ペンス硬貨一枚を返してくれた。なにか、あたたかい風が流れた。
 空港での待ち時間、ふと思い出した。滞在中、お世話のなった友人にお礼の電話を入れるのを忘れていたのだ。
 ポケットには、心をつないだ25ペンス。私は満面に笑みを浮かべて立ち上がった。



そのー2 プルメリアの花(エッセイ)  


 プルメリアの花が咲いた。 たった2輪だが、丹精した結果が出てうれしかった。四年前ハワイのABCストアで花の種(Hawaiian Seeds Post Card)を見かけ買い求めたものだが、果たして日本の気候に順応するか懐疑的であった。 まあ、駄目元とプランターに植えたのだがそこから6本の苗が出来た。 夏のあいだ、20cmとなり肉厚の葉で覆われた。冬場には室内に取り込んだが、葉は枯れて丸坊主、心配していたが春を過ぎ、また小さな葉が出てきた。丈も葉も大きくなり鉢もそれ相応のものに変えた。しかし、花は咲かない。 
 こうした事をくりかえし、今年までに4本が成長し背丈も私を越えるにいたった。だが、まだ花は咲かない。ああ、やはり日本では駄目かなと思っていた矢先、その一本に花穂らしき茎がでてきた。六月の頃である。
 八月に入りそれはぐんぐん延び,つぼみがついた。 開花したのは八月の中旬である。私は長男が生まれた時と同じようにこの花をデジカメで取りまくったのである。現在、他のすべてのプルメリアにも花の芽が出てきている。開花の日が待ち遠しいこの頃である。
 プルメリアはハイビスカスとならんで、ハワイの代表的な花。ハワイ語(ポリネシア語)では 
PUA MELIA。(Pua=花の意) ハワイの花屋では、その朝編まれたこの花のレイを売っている。

そのー3 ウクレレ (ハワイ) 
 
 ハワイ諸島に白人たちの入植がはじまり、 ポルトガルからの移民もやってきた。彼らの中にはブrラギーニヤとよばれる小さな楽器を携えてきた者がいた。彼はこれをもとにハワイの木、コアで楽器を作った。ハワイの島民が珍しがってこれをポロンと弾いたところ、驚いた。 「ナ、なんだこれは!のみの跳ねるような音じゃないか」 こうして名付けられたのがウクレレ(跳ねるのみ)であったと言う。
 この小さな楽器は私が高校生のころ、私を虜にした。はじめて弾けるようになった曲は「夏が来れば・・・」という歌であった。当時の日本ではハワイはあこがれのところ、私も行くのが夢であった。
 バッキー白片とアロハ・ハワイアンズ、ポス宮崎とコニーアイランダース、そして大橋節夫とハニーアイランダースなど、あまたのハワイアン・バンドがこの夢をかきたててくれた。大学では早速仲間とともにバンドを結成、演奏を楽しんだものだ。 また、夏には葉山の海岸で女の子にオリーブ・オイルを背中に塗って貰いながらもウクレレをはなさなかった。

 

 それから40数年、会社を退職し、気楽な生活を送っていた私のもとに 友人から電話がかかってきた。 ハワイアンをもう一度はじめないか、との誘いであった。
 「頭がぼけないよう、くるみを手の中でころがすより、楽器を弾く方が良いよ」
 この友人の言で、私は押入れの中で眠っていたウクレレを取り出した。今では、すっかり暇のできた連中とともにハワイアンにのめりこんでいる私である。バンドの名前はハングルースという。




そのー4.風、波、太陽 そしてヨット(エッセイ

「ねえ、それって素敵、誰の歌?」
「プレスリー・・・エルビス・プレスリーのラブ・ミ・ーテンダー、新曲さ」
ウクレレを弾く手をとめて、隣の砂浜に寝そべっている女の子に答える。
先ほど声をかけて知り合ったばかりだから、まだチャコとしか知らない。
真夏の葉山の海岸。照りつける太陽。彼女の焼けた肌からほのかにコパトーンの香りが海風にのって漂ってくる。
また、ウクレレをかき鳴らす。
「見て、見て! ヨットがあんなにいる」
はるか沖合を、多数の純白のセイルが風をはらんでやってきた。おそらくレースをしているのだろう。
「ねえ、ユージローって知ってる? 彼って歌が上手」
「ああ、太陽の季節か。最近デビューした奴だろ。やたらに脚の長い」
「そうよ。彼ってヨットもやるんだって、私も乗りたいなあ」
「・・・・・・・・・・・」
 1956年ごろだったか、ユージローにかるい嫉妬をおぼえる青春の夏の海。

そのー5.湾岸戦争とヨット(エッセイ) 

 ヨットを覚えたかったがチャンスはなく、会社に就職して、ようやくめぐり合うことができた。会社のヨット部で週末には佐島(神奈川県)でセールを楽しんだ。おかげで、何年か後には駆け出しのヨットマンとして名を連ねる事が出来た。
サウジアラビア王国東部地区のアラビア湾(ペルシャ湾)のカフジという町。そこには日本の石油会社が石油を採掘している。(注:2000年に利権協定は終了)
なにも娯楽のない沙漠の国、ここでもヨットはここで働く日本人たちの人気をあつめていた。オリンピック級の470、Y−15,レーザー級それにウィンドサーフィンなど多くの艇をかかえ、週末(イスラムの休日は金曜日)色とりどりのセールはアラビアの海を賑わせていた。彼らは厳しい仕事の合間のリクレーションもさることながら、サウジ国内や隣国のクウェイトのヨットマン(多くは欧米人であったが)と毎年持ち回りでレガッタ(レース)を開催し親交を深めていた。
 1990年8月、イラクのサダム・フセイン(前)大統領によって、隣国のクウェイトが侵攻され、翌年1月本格的な湾岸戦争に発展していった。ここサウジアラビアのカフジの町も戦火に巻き込まれた。戦争が終わった1991年4月、私は会社の幹部として、ここに赴任してきた。戦後の石油事業が復興したあと、ようやく、リクレーションも活動を開始する事が出来た。現地のわがヨット部の艇庫にもロケット弾が2発着弾し、多くのヨットは穴だらけで使い物にならなくなっていた。まずは、修理が先決である。もっとも、肝心の海は原油とクウェイトの油田火災によるオイルミストと煤で汚れておりセイリングをする状態ではなかった。 アラビアの海がその美しさを取り戻したのは、その年11月クウェイトの油田火災がおさまってからであった。ヨットマンたちの顔にも笑みが浮かんだ。

そのー6、海外のヨットレース遠征記 (旅行)
ーサウジアラビア ダハランセーリングクラブ・レガッター

 1993年 中東サウジアラビアの石油会社で働いていた私は、リクレーション活動でも現地カフジのヨットクラブのコモドール(提督)になっていた。前年の湾岸戦争の戦火は過去のものとなっていたとはいえ、新艇の数もまだそろわず、わがヨットクラブは本年のレガッタ開催者として辞退せざるを得なかった。したがって、近隣ヨットクラブの関係者と協議した結果、本年はここから南に350キロはなれた ダハランの町に近いハーフ・ムーンベイでとり行われることとなった。これはその遠征記である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「Half Moon Bay」ダハランから南、約30キロ下ったサウジアラビア東海岸に面する文字通り半月型の美しい湾である。その一角に今回のレガッタの主催者であるダハラン・セーリングクラブに所属するブリティッシュ・エアロスペース社のプライベートビーチがある。
 そこは海岸の三方の約1キロメートルほどにわたってコンクリートの塀に囲まれ、入り口にはサウジ空軍の兵士が銃をもってガードをしている。一見ものものしい刑務所にみえるが、中は設備の整ったビーチリゾート地、この地で働く欧米人のみが入れるサンクチュアリなのである。
我々8名の選手団(サポーターの家族4人を含む)は 4月22日のレガッタ開催日にあわせ、サウジアラビアの北、クウェイトの国境に近い町カフジから4時間もの車のドライブで意気揚々、参加したのである。
昨夜はダハランに近いアルコバルの町のメリディアン・ホテルに一泊し、コンディションをととのえ、一同、大いに張り切っていたものの、翌日は勧進元のダラハン・セーリング クラブからはゲートパスも届かずホテルのロビーで待つこと2時間、業を煮やして、出発したがなにぶん全員がこの地ははじめて、ということもあって目的地がどこにあるかわからない、給油所の従業員はアラビア語であれこれ説明してくれるが、こちらは一言も理解できない。地図を見ながら、海岸沿いを走り海にうかぶヨットをたよりにプライベートビーチにたどり着いた時には、一同すっかり疲れ果ててしまった。ゲートでも我々の片言のアラビア語が通ぜず、ここでも時間を食ってしまった。
と、いうわけで、もう午後1時、借り物のレーザー艇3隻のフッテイグが終わった頃には万事休す、第一レースは始まってしまっていた。
当日はウィーク・エンドということもあって、このプライベートビーチにはかなりの人出で賑わっていた。
(注:イスラムの休日は金曜日、したがって、当日は木曜日である)
家族でバーベキュウを楽しむ者、季節的にはまだ浅い4月のアラビアの日光で肌を焼く者、水泳やウィンドサーフィンに興ずる若者、皆、思い思いの過ごしかたをしている。
見れば全員が白人だ。我々の中で体格の良いM君だけが映えて見える。
だが、なんという自由な空気、正にヨーロッパのリゾート地、ああ、我らはるばるやって来た過密スケジュールの日本人観光団か、とひがんでしまう。かかる聖域をもたない我々にとって、うらやましいかぎりだ。 ガードシステムがしっかりしているせいもあるが、人々は周りを気にしていない。コパトーンか、日焼け止めクリームの香りが風にただよっている。そうだ、これは私の懐かしい青春。気ままな海浜族のころ、浜辺で知り合ったばかりのギャルが背中一杯これを塗ってくれたっけ。この香りも自由な気分にさせてくれる要因の一つである。
昔の思い出はともあれ、砂浜に寝そべる女性たちのビキニ姿は、イスラムの戒律の厳しい我々が住むカフジではお目にかかれない。カンヌやコパカバーナのようなトップレスギャルにこそお目にかかれなかったが、最新流行のハイレグ水着を着た太目のオバサンですら、我々男性陣には目の保養になった。それにハーフムーンビーチの砂はカフジの泥質のそれと違って、さらりとしたグラニュウ糖のようで気持ちが良い。
さて、レースに目を向けてみよう。 風速は5メートル。物足りないがまずはヨット日和。本日のレガッタはレーザーのほか、ディンギーハンディキャップとセイルボードのレースが行われている。われわれのチームはこの内レーザーにエントリーしている。
レーザーはシングルセール、一人乗りの扱いやすい艇でアラビアの湾岸では一番人気がある。サポーターの家族の声援に送られ、第一レースに遅刻したわがチームの3艇は勇躍、岸を離れた。沖には早くも50隻を上回る白いセールが乱舞している。
第二レースが始まった。ヨットレースは陸から見ていると何がなんだか分からない。
双眼鏡でセールナンバーを捉え、一喜一憂するだけだ。スタートを失敗したが8位になったM選手、水漏れがひどく潜水艦のような艇のS選手、やった!とニコニコしているが何位になったか分からないO選手が帰ってくる。まあ、本日はこれまで。

 ブリティッシュ エアロスペース社のご厚意で、われわれの今晩の宿泊は三班にわかれホームステイすることとなった。 レガッタ・コミッティの幹事からステイ先のホストの紹介を受ける。単身赴任者の私とM君の二人は、ケン・A氏のお宅にご厄介になることとなる。
彼はロシアの元大統領であったエリツィン氏からありとあらゆる贅肉を取り去り、あのふてぶてしい愛想笑いをなくしたような風貌の英国紳士である。いきなり熊みたいな手で握手された。アラブ風のぶよっとした握手になれている我々にその痛さよ。

 
 彼の車の先導でブリティッシュ・エアロスペースのコンパウンドに向った。アルコバルの町に近いそのコンパウンドは昨年12月に完成した。瀟洒な建物が並んでいる。上品な奥様が出迎えてくれる。夫婦二人で住むにしては5LDKの間取りは広すぎるとも思ったが、これだからこそ、気兼ねなくお客を受け入れる事が出来るのだ。以前行われたカフジ招待レガッタはビーチ施設はともかくも、社宅は2LDKの広さしかなく、町のホテルに分散したり、中にはビーチでテントをはって泊まるチームもいたのだ。
また、彼らの労を厭わない接遇には恐縮のしっぱなしだ。国際人と自負している我々にとって、こうした事が出来ないので赤面のいたりである。
 さて、ご夫人が作ってくれたスナックとソフトドリンクで軽い夕食を済ませ、ダハラン・セーリングクラブのクラブハウスのパーティに、ご夫妻と一緒にでかけた。実はこのパーティのためにタキシードとまではいかないが、紺ブレザーを用意してきた。だが、どうもそんなフォーマルなものでないらしい。Mr.ケン氏は
「なーに、Tシャツとジーンズでいいよ、あそこはエアコンがきかないからね」
と言って笑った。願ったりかなったりである。
クラブハウスはビルの地下室にある。緊急時にはシェルターとして遣うのだろうが、内部はロンドンのパブそのものだ。すでに地元のメンバーやKLM(オランダ航空)アラムコ(石油メジャー、現在はサウジ国営)のラス・タヌラ セーリングクラブのヨットマンたちが集まって陽気に騒いでいる。入っていくとたちまち、顔なじみのベテランレーサーたちに囲まれた。
湾岸戦でレガッタが中断されて何年ものあいだ会えなかった連中である。
「カフジはどうなっているんだ?」
「セイリングはしているのかね」
「戦争で大分被害がでたと聞いているが?」
矢継ぎ早に質問がとぶ。実はカフジ・ヨットクラブのコモドールとして正式なスピーチがあるだろう、と予想してアンチョコを用意してきたのだが、こうした雑談なら気が楽だ。
「いらない!と断ったが、サダム・フセイン大統領からロケット弾の贈り物がきたよ。おかげで僕らのヨットは全部スクラップさ。でも、サダムからは今度はヨットをプレゼントするとはいってきていない」
へたなジョークにも皆大笑いだ。
彼等はカフジでのレースを心から期待しているのだ。希望をかなえてやりたいが、今は設備が整っていないので無理だ。まあ、ゆっくりとやろうや。と握手がかえってきた。

翌日、ケン夫人の心づくしの朝食を食べ、揃ってビーチに行く。昨日とはうってかわった荒れた海、沖合いに一面の白波が立っている。おそらく風速は10メートルをこえているだろう。ただ、ハーフムーンベイはうねりがないので救われる。大丈夫かな。我々選手一同、顔を見合わせる。皆、願わくは中止になることを望んでいるに違いない。しかし、コミッティイはコースを湾内のショートコースに変更して行うことを決定した。第一レースが終わり、続いて第二レース。わがチームは荒波の中を体力の限度一杯健闘し、数多くのヨットが転覆する中、五位に入賞することができ、日本人の意地をみせた。第三レースはさすが体力抜群のヨーロピアンたちもこの強風にはこたえたと見えて中止となった。正直なところ一同ほっとしたのだった。
欧米ではヨット選手層が厚く、このようなローカルレースでさえヨーロッパ選手権で入賞したような人々が出場している。ヨット愛好家の集まりでしかないわれわれが、プロフェッショナルの彼等に立ち向かうのは蟷螂の斧に等しいが、今回、はからずも期待以上の成績をあげたことは、ラッキーであった。
アテネオリンピックでは日本選手が大活躍し、日本のヨットの技術も飛躍的進歩をとげている。これから、日本の若い力が海にはばたき、国際ヨットレースで大いに活躍してもらいたい、と願うしだいである。

そのー7.文化遺産はどうなる?(エッセイ)

  鎌倉の大仏を見に行きました。長年風雨にさらされているため、痛んだところも方々見受けられますが、さすがに歴史の重みを感じさせます。愛知万博のパキスタン・パビリオンのシンボルはガンダーラ文化の「釈迦苦行像」(レプリカ)でした。ラホール国立博物館に展示されている本物は世界的至宝といわれています。

 偶像崇拝を禁止しているイスラム国家であるパキスタンは異教のガンダーラの遺跡、遺物を大切に扱っています。数年前でしたか、アフガニスタンのイスラム原理主義者タリバンはバーミアンの仏像を破壊してしまいました。世界文化遺産がこの世からなくなってしまったのは悲しい事です。あのイラクの独裁者であった、サダム・フセインですらイスラム以前のメソポタミア文化ウルの遺跡を大切に保存しています。私がかつて訪れた、エジプトでもアブ・シンベルやルクソール、その壮大なファラオの建築物には圧倒されるような威厳を感じ取りました。(ちなみにスフィンクスの鼻をぶっとばしたのはフランスのナポレオンの軍隊です)原理主義者、タリバンはこれで歴史上に悪役としてヒトラーと肩を並べる事になったとも思います。
ともあれ、世界文化遺産の登録が増え、世界中の文化が子孫に伝わってゆくのは嬉しい事です。しかし、100年後、200年後には地球の温暖化が進み、海面の上昇、異常気象に伴いこれらの遺産はどうなってゆくのでしょうか。今、対策を怠ると「こんなはずじゃなかった」と悔やんでももう遅いのです。後戻りはできません。 と、すれば、我々が今、その対策に本腰を入れなくてはならないのだ、と思います。
 
そのー8.スズメバチの巣(エッセイ) 

はちみつは健康に良い、美容に良いとのことですが、私には蜂はおっかない存在でしかありません。なぜなら、子供のころ田舎で近所の悪童連と蜂の巣をとりに行ってこっぴどく刺された思い出があるからです。それでも、はちを怒らせないように何とか知恵をしぼって、巣をとったものです。
 
 みつばちではなくすずめばちですから、甘い蜜はありません。そのかわりに巣の中には蜂の白い幼虫がびっしりとつまっていて、それをフライパンで炒ると香ばしく歯でプッチリと噛むと甘い味が口いっぱい広がります。当時、なにもない終戦直後の時代には格好のおやつでした。一方、はちみつは高価なものですから、なかなか食べさせてはもらえませんでした。一度、バア様の秘蔵のやつをこっそりとなめた事がありましたが、世の中にこんなうまいものがあったのか、とびっくりしました。
 
 今は飽食の時代、旨いものはいくらでも売っています。健康食品コーナーを見ると、はちみつにもこれだけの種類があったのか、と驚くほどです。どれがどう身体に良いのか私には分かりませが、どれもこれも効果をうたっています。しかし、私は子供のころのあの炒った鉢の子のほうが体に良いのではないかとその商品化を頭の中で考えてしまいました。しかし、巣の捕り方が問題です。難しいのでコストがかかって、だめでしょうね。 最近のテレビニュースで町にもすずめばちが巣を作り、刺された人も多いとの報道がありましたが、蜂は怒らすとひどい目にあうことを、人々は忘れてしまったのでしょうか。



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